美術工芸

陶器/タイル
8世紀後半頃から、うわぐすりに硝酸銀や硫化銅などの顔料を用いて、黄金色や赤銅色を出したラスター彩陶器が作られます。皿や鉢などに人物、鳥獣、草花、アラベスクなどが描かれました。アラベスクとは植物文様をさらに抽象化したものです。また、書体デザインも使われました。
9世紀のアッバース朝期では、中国から大量に輸入された陶磁器の影響を受けて、イスラムの白地青彩絵陶器が生まれました。
11世紀から12世紀にかけて、セルジューク朝のイランでは、モスクを飾るために多種多様な陶器が生産されるようになりました。色も青や藍、緑だけでなく、黄色、赤、黒、茶色と増えていき、何種類ものタイルを所定の形に切り刻んで集成するというモザイクが創られ、13世紀から14世紀になると星型や十字型、花や鳥を文様化した鮮やかなタイルも造られました。
15世紀のエジプトでは、透明度、うわぐすりなどの面で中国技法の模倣に成功し、イスラム青磁を大量に生産しました。
16世紀中頃のオスマントルコでは、鉄分の多いアルメニア粘土による赤色の顔料が加わり、イズニックを中心に独創性に富んだ陶器が生産されています。
絨毯
オリエントでは古くから織物が盛んでした。アッバース朝時代にはバクダッドやダマスカスを中心に繊維産業が発達し、各地で衣類用織物や敷物用織物などが生産され、世界中に輸出されました。染めには植物染料が用いられ、青はアイ、赤はアカネ、黄色はサフラン、紫はオリーブからとりました。
ペルシア絨毯は、11世紀、セルジューク朝時代に発達し、動物、狩猟、草花などの装飾を主題としています。

トルコ絨毯はアナトリア地方で織られ、幾何学文様を特徴としています。16世紀から17世紀にかけてヨーロッパで好まれ、トルコから相当量が輸出されています。

真鍮製アストロラーべ(天体観測儀)
イスラム社会では、礼拝の時刻と方向を知るために用いられるアストロラーべは非常に重要なものでした。

金属細工

ササン朝ペルシアの時代から打ち出しや彫りの技法を巧みに使い、皿や水差しなどに架空の動物や狩猟の図などを描いていました。象嵌は地金となる金属(おもに真鍮)の表面に文様に従って他の目立つ材料(金、銀、銅)を埋め込む技法で、イスラムの金属細工技術の中でも高度な技術が要求されました。12ー13世紀ペルシアで発達し、ルネッサンス期のイタリアに伝わっています。

ガラス

ガラスの歴史は紀元前3000年ごろまで遡ると考えられています。古代メソポタミアで高度にガラスの生産が発達していたことを示す製法秘伝書(楔形文字で刻まれた粘土版)が発見されています。

はじめは型を使用して1個1個製品を作っていましたが、紀元前1世紀中ごろにローマで吹きガラス技法が発明されたことによって、あらゆるガラス製品が作り出されるようになりました。

やがてガラスはイスラム世界の中心的な産業として発展し、耐熱性の医療用器具や照明器具も作られるようになり、エナメル彩色やラスター彩色なども発展しました。
マルムーク朝のエジプトでは、モスクのランプのために金張りのガラスのランプが大量に製作されました。

文学

アラビアン・ナイト
アラビアン・ナイトは、長短約260の物語から成るといわれ、時代は紀元前から中世までと長期にわたり、舞台もアラビア半島、メソポタミアを中心に、西はスペイン、東は中国、南はアフリカまでと広大です。多数の作者の手を経て、16世紀始めには現在の形に整えられたと思われ、18世紀にフランス人のガランによってヨーロッパに紹介されて、世界的に有名になりました。
有名なアラジンは、ハールーン・アラシードというアッバース朝第5代カリフがモデルで、バグダードの町を歩き回り、愉快な話、珍しい出来事を伝えています。この時代のバグダードの宮殿は美しく飾られ、詩人や歌姫たちがたくさんいました。
もう一人の主役のシンドバードはバグダッドの商人でチグリス河口の町バスラから船出して、途中何回も嵐にあったり、奇妙な出来事に巻き込まれたりしながら、奇跡的に助かって、7回も航海を繰り返すという冒険話です。

文化

アラブ商人
イスラム教徒の隊商は中国、中央アジア、西アフリカなどを往復し、商船はインド洋と地中海を自由に航行しました。香辛料、薬品、金、銀、銅、塩、象牙、木材、絹織物、陶磁器を運んできただけでなく、中国起源の羅針盤、製紙法、火薬などをヨーロッパに伝えました。
ちなみにアラビア数字と呼ばれるものは、実はインド数字で、十進法とゼロの概念もアラビア経由でヨーロッパに伝わったものです。

ハレム
6世紀アナトリアの小国だった時代に、統治者の妻が敵に奪われ辱めを受けた教訓から、トルコの歴代統治者(スルタン)たちは、正妻を定めない掟になっていました。スルタンたちは世継ぎを生ませるために領地から美女を集め、女の園ハレムを作り、そこに出入りできる男性はスルタンただ一人でした。ハレムには去勢された役人に管理された約300人の女たちが、スルタンの目を引くことだけを考えながら身を飾り暮らしていました。

コーヒー
コーヒーの原産地はエチオピアで、ヤギがその実を食べて興奮するのを見た人間が真似したそうです。それをアラビアに伝えたのはイスラムの修行僧だそうですが、ムハンマドの時代にはまだ伝わってなく、イスラムの教典にはコーヒーについて何も触れていません。アラビア人たちは始めコーヒーの果皮や種子をそのまま煎じて飲んでいましたが、すぐに焙煎した後の煮汁を取る方法を会得しました。飲酒の許されないイスラム教徒の間では日常生活に欠かせない飲み物となりました。イエメンのコーヒーはモカの名のもとにトルコ、ジャワ、ブラジルにまで栽培が広まりました。

ドラッグ (宗教では禁じられていません)
阿片はケシの未熟果に傷をつけ、にじみ出る乳液を取り、これを干して固めたのが阿片です。モルヒネを含み、鎮痛などの薬効のほか、あらゆる精神不安からの解法のために用いられてきました。水パイプを通して吸引されます。
ハシシュはインド大麻の花穂の部分から採取した樹脂の塊がハシシュで、花の咲き始めた草頂部を刻んだものがマリファナです。加熱によってテトラヒドロカンアビノ-ルという成分を生じ、精神的緊張の解除を生じます。パイプにつめ、火をつけて吸います。
カートはイエメンではコーヒーと同じ畑ににカートが栽培されています。この地方の男性たちはカートの葉を噛むか、煎じて飲んでいます。成分のエフェドリンは覚せい剤メタンフェタミン(ヒロポン)に近く長い間には中毒の危険もあります。昔は局地的にしか用いられませんでしたが、最近では冷蔵によって遠くに運ぶことが可能になり、国際問題になりつつあります。

物乞い
コーランは貧しい人たちへの施しを義務付けています。信者は貧しい者に施しをしなければなりません。その義務を果たすためには、貧しい者が存在しなくてはなりません。ですから、石油収入などで裕福になったアラブの国の政府が、乞食撲滅を呼びかけても、市民の協力は得られません。
乞食の方も「自分は貧しいものであり、施しを受ける権利がある」と思っています。プロの乞食はシーア派のモスクでは始祖アリーを賞賛し、別のモスクではそのモスクが属している法学派の始祖を大いに褒め称え、礼拝にやってくる信者からいかにたくさんのお金をもらうかを考え、テクニックを磨きます。
オスマン帝国時代には、他の職人ギルドと共に完全にムスリム社会の一部に組み込まれ、売春婦と並ぶ世界最古の職業として認められています。